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コントラバス弾いとるんじゃけぇ

旅は道連れ世は情け

広響 定期#362

管弦楽

こんばんは。

3週間空いただけで、久々の演奏会じゃ!と思ってしまった、たじゃすです。

●はじめに

広響の次期音楽監督シモーノのお披露目ということで楽しみにしていました。いや、毎回楽しみにしていますけどね(笑)

●ペンデレツキ:シャコンヌ(ポーランドレクイエムより)

 同期Dに『広島の犠牲者に寄せる哀歌』でペンデレツキの名前を知ったわけで、トーン・クラスターとかいう訳のわからないもののイメージの人だったんですが、ちゃんと美しい響きの曲も作れたんですね(コラ
 勝手なイメージが本当に申し訳ないぐらいに美しい弦楽の響きでした。物悲しさを秘めた音って広響の弦セク結構上手いと思うんですよねぇ。あー、気持ちよかった。

J.S.バッハ(斎藤秀雄 編曲):シャコンヌ

今回は、このバッハが白眉だったように思える。これは編曲の妙。あの重厚さと各楽器の良い所を引き出した構成ってのは、さすが日本指揮法のバイブルだと唸った。あのエンディングの和声は誰が聴いても感動しますよ。僕はパイプオルガン的な、ミルフィーユ的な、長い音が重なっていくお決まりの形に目が無いのでたまらなく幸せだった。

マルティヌーオーボエ協奏曲 ソリストセリーヌ・モワネ

上手い。基本的には管楽器の協奏曲って管の独立っぷりを激しく感じちゃうので好きではないし、広響も協奏曲でソリストと馴染まない部類に入るので、そこは否めなかったがそれを求めずにボンヤリと聴く分にはモワネさんの張りのある音を楽しめた。相変わらずマーティンさんの音はVcパートソリのディティールを際立たせており、聴きごたえがあった。あ、2楽章だったかHrソロからソリストへの響きは上手くニュアンス溶け合っていてナイスでした。

ブリテンシンフォニア・ダ・レクイエム

 編成がデカい。そして叙情性の強い曲でした。全体を通して、タイトルに相応しく《祈り》を感じられた。涙の日→怒りの日→永遠の安息とは、ベートーヴェンとは違ったエンディングですが、より闘争をリアルに感じられるのかもしれない。
個人的にはもっと低音群が響いてくれた方が楽しめたかな。

●いろいろ

 シモーノの指揮はとても丁寧だったと思います。何より止まる動作が美しかった。指揮も身体の運動の一種ですからね、ああいう基本動作が統制されてると、意思疎通がしやすいんじゃないかと思っています。まだ広響を様子見してる感はありましたが、すぐに慣れるでしょう、来年度も楽しめそうです。

 あー、ここ一ヶ月近く激務でして、かなりボンヤリしながら聴いていたので、感想のキレは良くないと思います^^;

では。

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160619 香川大学医オケ 定演#30

管弦楽

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こんばんは。

連日の大学オケ。四国は意外と広かった…移動に疲れた、たじゃすです。

●はじめに

実は、愛媛大オケさんの演奏会に行こうと思ったのは連日で香川大医オケの演奏会が開かれることも影響しております。プログラム的には激渋の愛媛大オケに対して、ド直球の香川大医オケ。これが演奏会の感想に影響するかどうかが気になるところ。

 そういえば、全曲演奏したことある演奏会って初めてかも?しれません。

ボロディン:「イーゴリ公」序曲

 イーゴリ公序曲…経験値との兼ね合いもありますが、僕が最も弾けなかった印象の強いこの曲ですが、聴く度に「なんでこんなにCbが美味しい曲を練習しなかったんだろう!?」と思う位に、Cbがアツい曲だと思います。

 して、演奏はといいますと…まず、べらぼうに楽器が鳴っている。これって意外と大事で、金欠であることが多い学生オケにとって、ちゃんと楽器の手入れがされているor楽器に投資されているってのは、相当なアドバンテージですね。曲がロシアものなだけあり、各々が「こう弾きたい」って想いで若干とっちらかってる印象はあったものの、音色で押し切った力ある演奏でした。僕はこーゆーの好きです。音圧の暴力とでもいいますかね、団員のほとんどが自信を持って弾いてるってぇのは学生オケの特権かなと。もちろん、いくつか綻びみたいなものはありましたし、曲全体が一個体としてまとまっていたかと言われれば違うんですが、カツ丼!焼き肉!カレーライス!…と大人気のメニューを立て続けて食べさせられたら、まぁ細かいことは気にならなくなります(笑)「力こそパワー!

グリーグペール・ギュント第1組曲

 イケイケドンドンの曲調であるイーゴリ公序曲を終えて、少し冷静になってみると”圧倒的なフォルテに甘えたピアノ表現だったのではないか?”と気になってきました。ペール・ギュントはフレーズ感やピアノの表現大事だし、そこらを気にしてみようと思いながら聴き始めると…。

 冒頭は変わらずのがっぷり四つの堂々とした歌いまわし。あー、なるほど。やっぱりそういうオケかーとか思い始めていたら、”オーゼの死”できっちり繊細な表現もこなしていきおるんですわ。奏法も揃えてきて、北欧っぽい歌い回しの癖も表現できていたように思います。終曲の山の魔王の混沌とした感じは得意分野でしょうね(笑)

チャイコフスキー交響曲第5番

 休憩の間に、ある程度期待値が高まってしまったので、それ以上を求めてしまうのが人間の性。おまけにチャイ5も言ってしまえば、感情曲線の豊かなノれる曲。

 さて、感想はと言いますと、相変わらず上手い。個々の楽器の実力は十分で、管もいくつか難はあれど、大事なところは抑えていた。しかし、僕はこの曲のCDを伊達に31枚持ってる訳ではなかった。セクションとセクションの馴染みが悪いのが気になりました。これがチャイコの絶妙な和声感を表現しきれていなかったかなと思う。いや、それは言いすぎ求めすぎなんですけどね。ここまでやりきられると、ちょっと学生オケという枕詞だとケチつけられなくなるというか(笑)…凄かったんですよ、ホント。

 あー、あとコレを書くかどうか迷ったんですけど、さすがに目立つし僕はそれでかなり冷めてしまった*1ので書きますが、ステージに乗せるんであれば誤魔化しの技術ぐらいは教えてあげようよ、と思いました、まる。

 ちなみに、この曲の2ndVnトップの方が上手すぎて惚れました。僕にとって現時点でもアマチュアで1番音楽的なヴァイオリニストは1コ上のK先輩なんですが、匹敵する素質を感じた。たぶん前プロのコンミスで2年生だと思われるので、彼女の卒演は聴きにきたいと思った。さすがに広島ー香川はしんどいんですが、それを差し引いてもね。

●いろいろ

ここまでほとんどケチ無しというのも中々珍しい。もちろん、それは学生オケという枕詞の範疇で、それにしてはかなりOB・客演が多かったというのもある。でも、一昔前のバイタリティのある学生像を見た気がする。

いやー、純粋に褒められるってすごく気持ちいい。学生オケは代と代の重なりあいで作られてるので、今年のサウンドは今年しか聴けない。その事に感謝したりもした。

ブラボーでした^^

*1:超あがり症なのかな?どこか身体に不調をきたしているのかな?なんてあれこれ心配した

160618 愛媛大オケ 夏定期

管弦楽

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こんばんは。

●はじめに

個人的に、3年前から中四国国立大学オケの応援者ということで↓のようなものを作ってまとめているのですが

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実際は、山大以外の演奏会って音美の単演以外は、去年の広大オケ定演に行ったのが初めてだったんですよね。その広大オケの演奏会で思ったよりも感動したので、今年は行けるところがあれば積極的に行ってみようと思った次第であります。本当は山大の次ぐらいに馴染みがあるのって徳大オケだったんですが、日程的・選曲的に食指が伸びなかったのもあり、第一弾は愛媛大オケさんになりました。

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲

 冒頭崩れた瞬間、うわ!マジか!と思いましたが、モーツァルトは冒頭が鬼門であることが多いだけで、すぐに立て直して曲を前に進めていきました。高音域と低音域のフレーズ感のズレが少し気になって、優雅な感じというかは落ち着いたモーツァルト。安定感があった。

シューベルト交響曲第5番

 シュベ5の魅力はなんといっても冒頭のフレーズ。個人的にはこれが楽器の都合で詰まっていたのが惜しかったです。前プロから思っていましたが、弦セクの2列目があからさまに鳴っていて興味深かった。OBや客演が多いせいか、エンジンが2楽章途中ぐらいからかかってきて、音色・ハリ・音圧が増してきて面白くなってきた。練習量を感じさせる良い演奏だったと思います。2ndVnがT口先生の影響か結構鳴っていて、もう少しVaが主張してくれればなお音楽空間が膨らんだと思われる。

 シューベルトの朗々さを存分に表現しきったかと言われると、やはり落ち着いていた演奏と言わざるを得ないのが、それはそれで今年のカラーなのかもしれないと納得できて逆に面白い。

ハイドン交響曲第104番「ロンドン」

 さて、ここまで落ち着いた演奏とばかり評してきたが、やはり現役の数が少ないというのは影響していると思う。このハイドンを聴いていて、加えて現役が若干萎縮しているのではないかとすら思った。これは僕個人の意見ですが、学生オケにとってのエキストラは単なる増幅装置でしかなくって、現役らがしっかりとした矢印を出せないと、エネルギーが拡散してしまい、もったいない演奏になると思っている。僕の1コ上の学指揮に至っては「客演指揮も言ってしまえば良い演奏を引き出してもらう手段でしかない、その引き出させる気持ちにどうさせるかが自分たちの努力」とまで言う始末ですが、それも一理あるんですよね。

 話が脱線しましたが、古典でかなり弦の負担が大きかったと思いますが、手練が何人かいますので、ちゃんと古典の音が鳴っていました。2楽章でFgが弦のニュアンスに寄せ切ったのは良かった。というか、3楽章もフレーズのやりとりが自然だったし、フィナーレにおいても音楽の波を全体から感じられた。うん、多分めっちゃ真面目なオケだと思う。ちょっと堅苦しいけど、これはこれで国立大学オケっぽいのかもしれない(笑)

●いろいろ

 聴いていてストレスの少ない演奏ってのは安定感の成せる技だと思うし、その安定感から来るのか、緩徐楽章の音色も心暖まる良いサウンドでした。まぁ、サマコンなのも影響してるのかもしれませんが、ひとえに学生オケと言っても、いろいろある…と学んだ演奏会でした。

160610 広響定期 #361

管弦楽

どうも。

考えてみれば、演奏会に行く事が当たり前のようになっているのって、学生の頃の自分から考えると信じられませんね。たじゃすです。

●はじめに

シュトイデ氏と言うと、去年のベト5が思い出される。 

kaze-no-ta-chan.hatenablog.com

この時は、ケチってA席にしましたが、前から下手側6列目7列目ぐらいだったこともあり、 シュトイデ氏の擦弦の音にすら魂がこもっているように感じたものですが、今回は果たして…。

●(献奏)シベリウス:悲しきワルツ

 広響Vn津田芳樹さんを偲んでプログラム変更が行われ、悲しきワルツが冒頭に献奏として演奏されました。津田さんは前の方で弾かれてる印象はあまり無く、一ファンとして注目したことはありませんが、白メガネの似合うお洒落な方だったと記憶しております。ステージ上を観る者としてもステージで演奏する者としても、あの場には生物の生き死という生臭さは無いような気がしている。この献奏もやはりそういった重力をはねのけた美しき響きのみが残っており、きっと天に届いたことだろうと思う。

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ソリスト:フォルクハルト・シュトイデ

 指揮者無しという事もあり、テンポは重め。個人的にブルッフはちゃきちゃき曲が進む印象があったが、ブラームスよろしく分厚いブルッフに仕上がっていた。去年も書いたが、とにかく積んであるエンジンが全然違う。別に広響弦セクを貶めるわけではないが、比べるものでないといいますか、住んでいる世界が違うということを改めて感じさせられた。…そしてそれが少し関係するのかなと思ったのがVnパートへの影響の仕方。前回は1回目ということで「付いていきます」という感じだったのが、今回は「吸収できるだけしてやる」という香りが若干しました。もちろん、技能職人の世界ではスキルは盗んでいかなければならないのですが、やはり骨格から吸ってきた空気から全て違うわけで、ちょっと自分たちのリズムを崩されていたように思えました。

 メンコンよりも独奏とトゥッティが合わせづらい曲なので、指揮者無し故の若干の綻びはありましたが、以前にもましてシュトイデ氏のエネルギーを感じられた良い演奏でした。

シューベルト交響曲第7番「未完成」

 この曲がこのタイミングで演奏されるというのはどうしても意味を感じてしまう。天と地…友人Dに言わせれば高弦のpは天国を、低弦は墓を、表してるらしいが、生命の流れが行ったり来たりというようなものは確かに感じた。ロ短調がそうさせるのか、未完であったことがそうさせるのかは分からない。

 演奏面では引き続き弦セクが「憧れと諦め」の入り混じった演奏をしており、プロでもこんな人間味のある風景見られるんだと少し安心した反面、音楽の道の深淵さに少し身震いすらした。この曲は、Vnの消え入りそうでいて張り詰めた緊張のp、Vc・Cbの這ったような低音、そしてクラリネットオーボエの音色による抱擁が、ありきたりですが僕の好むポイントでして、それらは全て満たされていた。というか何かを想起させられる演奏でした。抜群に整っていたわけでは無かったんですが、演奏に意味を付与させるレベルの演奏でした。しみじみと良かったと未だに思い返しています。

シューベルトイタリア風序曲

 もともとは前プロでしたが、アンコールに変更された。シューベルトらしさを感じた、音楽性先行の美しい曲だと感じたが、正直なところ未完成で満たされていて、あまり覚えていない。程よく脱力されて良い演奏だったとは覚えています。

●いろいろ

 個人的に、指導者に最も必要なのは”愛”だと思っている。妥協という言葉は諦めるという意味で捉えられることが多いがそれは違う。届きうる最高に到達させることが妥協であり、今回のシュトイデ氏はそうであったと思う。さながら音楽そのものに忠義を尽くす騎士であった。音楽にたった1つの正解なんて無くって、今できる最高を目指し続けることが善いことなんだろう。

 

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160608 ネタ出し

雑記

おはようございます。

このブログ、演奏会レビューばかり書いていますが、当初はそんなつもりなかったんですよね。なので、たまには別の記事を書きたいなぁと思った次第であります。

現在、思案している記事のネタでも書いておきます。

●僕とブログの付き合い

 僕は高校2年生の時からブログを始めました。なので実は来年が10周年ということになります。それを記念に何かしたいなぁと思っていたり思っていなかったり。僕のネットストーカー(笑)技術をもってして、昔のブロ友を探して2年ぐらい経つんですが、さっぱりですね。更新されなくなったブログを見る度に、後ろ向きですが昔の暖かみを思い出してます。これは結構マジで考えてます。

●僕が団長であれたこと

 僕はその昔、とある団体の部長…いや団長なる役を与えられていた時期があります。その時の経験は今の僕に活きていると思うのです。端的に言えば「”成長”という言葉の否定により、持続的・恣意的に変化し続けること」を学んだ気がします。…なのでそこらへんが書けたら自分にとってもいいのかなぁと思っていたり思っていなかったり。

●社会に参加する

 仕事以外で社会に参加する…まぁ、そんなに大それた事を言わないにしろ、学校や職場以外でコミュニティに触れるってのは、意識しないと出来ないんですよね。参加する事が尊いわけではありませんが、自分に近しい人間ばかりで固まってると、面白くなくなっちゃうんですよね。世の中には面白い人物がたくさんいます。本を読むことや他者の話を聞くことは疑似体験の方法としてコスパが非常にいい。まぁ、そんなこんなで、血縁でも趣味でも地縁でも何でもないなにかの縁で社会と繋がっていってる事に対して、何か書けたらいいなぁと思っていたりらじばんだり。

●転職をしてみて

 そういえば、このブログ…初期は転職活動記なるもの書いてたんですよね。実際のところ、僕は1社しか受けていないし、落ちてもまた翌年受けるかーぐらいのゆるーい転職活動だったのですが、まぁ何かの足しになればぐらいの気持ちで書き連ねてみようと思います。これも書いておきたい。

●いろいろ

他には、社会のニュースに関する感想とか書いてみたりしてもいいんですが、それを書くなら別のブログ立ち上げます。恒常的な更新を目指すのはナシの方向でいきます。

とまぁ、そんな感じでいってみたいと思います。

では。

160603 広響 ディスカバリー”Gift”

管弦楽

どうも。

気づけば6月。広島では梅雨入りもしたそうですね。

個人的に、6月はとっても調子の悪い月であることが多いです。しかし来月初旬に大きな仕事があるので、実は今戦々恐々としております、たじゃすです。

さて、本題に入りますかね。

●はじめに

 今回のお目当ては、Cbの客演首席が村田先生であるということ。広響はCbに首席を置いていなかったとはいえ、村田先生がセンチュリーへ移籍されるまでは実質トップという形でしたので、懐かしの広響サウンドが聴けるか楽しみにしておりました。

●ジョリヴェ:打楽器協奏曲 ソリスト:岡部亮登

 いやはや、ジョリヴェ面白かったです。打楽器と弦楽器は演奏している姿そのものも観客に影響*1できますよね。あっちこっちと様々な打楽器を演奏していく様は所作振る舞いが美しくてもやはりどこかコミカルに見えてしまいます。

 各楽器の奏法自体はオーソドックスらしいのですが、個人的に打楽器奏者の上手さを見るバロメーターである”引き打ち”?はさすが日本管打楽器コンクール1位受賞者といったところでした。

 僕としては、オケの現代曲っぽい和声?がツボでした。混沌とした響きが美しく聴こえてきて、秋山先生と広響のあの不穏当な不協和音はやっぱり好きだなぁと感じ入りました。 

●安部幸明:弦楽のためのピッコラ・シンフォニア

 弦楽ということで、Cbが目立つかとワクワクしていましたが、晴れやかな曲想ばかりが目立ち、若干の飽きを感じさせる曲だったように思えます。あまり印象に残らず…。パンフレット見て分かりましたが、安部幸明のCDを思い返してみれば、確かにアレグロ系の音楽が多かった。シンフォニエッタは結構好きなんですけどねぇ。

モーツァルト:セレナード第10番「グラン・パルティータ」

 かのアインシュタインが「このジャンルの頂点とみなされるべき」とまで絶賛したグラン・パルティータ。全7楽章に分けて、管楽器の組合せの妙を感じました。各楽章のイメージはメロディに引っ張られて面白みのない感想になったのでカットします。

 印象的だった事、僕、品川さんの音…好きなんですよねぇ^^2楽章においてはバセットホルンとの呼吸もバッチリ。あと、やっと高尾さんの魅力に気付けた気がします。こう言っては失礼ですが、見た目的に地味な印象を持っていました(汗)…驚いたのが、演奏中に身体がほとんど動かないんですよ。そのせいで地味な印象を抱いていたのかもしれません。しかし、ちゃんと聴いてみると、中々どうして熱いといいますか音楽性をたっぷり感じる音でした。6楽章はもちろんクラリネットが目立つ曲なんですが、それを除いても動力は高尾さんでしたね。あと、第3か4変奏での、1st2ndクラリネットの水中感がたまらなかったです。他の楽器は他の曲でも書く機会あると思いますので今回はこれで(笑)

 村田先生の音は、オケ曲では味わえない繊細な表現でした。先日のエアリーサウンドとは違った、優しいピアノではなく、緊張感を伴うピアノでしたね。

●いろいろ

オケ曲だけでも、弦楽曲だけでも、もったいないなぁと思わされました。セクションでのアンサンブルあってのオケ曲ですし、もっともーっと様々な音楽に触れていきたいなぁと思いました、まる。

 とか何とか言っていたら、今週の金曜日も演奏会です^^それではまた来週!

次回「シュトイデとの再開」

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*1:観客に影響するのであって、音楽に影響するわけではない…と僕は思っています

160525 広響 音楽の花束〈春〉

管弦楽

 

こんにちは。

花束シリーズが平日にあるのって不思議な感じですね。そういえば、フェニックスホールは平和公園の敷地にあり、27日の米大統領訪問のため厳重な警備がされてまして、職務質問されないかビクビクしながら会場に向かいました、たじゃすです。

●はじめに

花束シリーズはいわゆる有名曲を取り上げる事が多いですが、今回の前中は毛色が違ってて気になってました。チェンバロをまじまじと聴くことないですからねぇ。…ただ、会場がフェニックスホールなのは未だに納得いっていません。このホールは政治的な意味合い(平和を謳う)かステージマネジメント的な意味合い(圧倒的な広さ)以外でのメリットが薄い…と思っているんですよね。

ヘンデル組曲「水上の音楽」より

正直なところ、この曲わからんのんですわ!…周南フィルの時も思ってたんですが、ボヤかしてました。しかし、もう我慢出来ないんで書きます(笑)この曲って真面目に聴く音楽じゃないと思うんですよね。
wikipedia:水上の音楽
…やっぱり。何のためにかはともかく、舟遊びの際に演奏するような曲であり、音楽がメインではなさそう…?この曲がメジャーなのは本当にBGMとしての有用性が大きいからなんでしょう。

J.S.バッハチェンバロ協奏曲第1番

チェンバロチェンバロチェンバロ
チェンバロの存在が異質すぎて、曲があまり頭に入ってこなかったです(笑)…響きが無い、と言うと暴論になりますが、ピアノと違って響きが繊細すぎて、その響きの作り方をオケと綿密な打合せをしないと馴染まないんではないかと感じました。協奏曲というか、チェンバロのステージショーをオケが作り上げている感じ…。
 Cbが客演首席のAさんお一人だったんですが、何だかんだ言ってやっぱり上手い。ふわっふわのあのサウンドには唸った。

ブラームス交響曲第1番

 ブラ1。うーーーーん、どうしたものか。やっぱりフェニックスホールはオーケストラコンサートには向いてないわと実感させられた。なんつっても音が収束しない。個人技自体は聴こえてくるが、オケとしての共感が薄い。毎回、何だかんだ言っても広響なら…と期待していくんですけどねー。
 1楽章はそんな事考えながら聴いていたが、2楽章は冒頭からエンジン掛かっていたように思える。弓が弦を把持した音よりも空気を含んだ音をパート毎に差をつける事で奥行き出していた気がしたが、あの会場では逆にイメージを鮮明にしていた気がしないでもない。聡ちゃんのソロは相変わらず美しい。3楽章、今まで総じてテンポ…というかスケールが大きかったポンマー氏でしたが、意表をつく速いテンポで驚きました。ただ、その速さ故か、三度?の動きから解放されるところで一瞬グシャッとなった気がして焦りました^^;4楽章も1楽章同様に…会場のせいで共感が薄い感じでした。あ、でもHrのソロの下でTpとClが良い味だしてたのに気付けたのは、会場のおかげかもしれない。あと、思ったよりもポンマー氏は高齢の割にアゴーギクのメリハリがしっかりとしていた。

彼女いわく「DSOのベト3で感じたのに近い、そもそも目指すものが指揮者とオケで違っていた気がした」らしい。その発露の1つが音楽の呼吸のズレだったのかもしれない。

あ、あとフェニックスはオケ内でも共感が難しいけども、観客席とステージの共感は更に遠い、遠かった。

●いろいろ

 

カーテンコールの際のマックス・ポンマー氏が舞台袖からチラと覗いている姿に大変ほっこりさせられた。

以上。

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