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コントラバス弾いとるんじゃけぇ

旅は道連れ世は情け

151116 広響 2つのHIROSHIMA

こんにちは。

カルメンとマラ1という激重プログラムを乗り越え、久々に心身ともに疲れ果てた状態でしたが、広島に住んでいる者としてHIROSHIMAをテーマにした交響曲を2つも演奏するとあって聴いてきました。

アールトネン 交響曲第2番HIROSHIMA

 全体を通して、思っていたよりも聴きやすかったです。冒頭は、先日のシベ4を思い出させるVc(とCb)による陰りのある雰囲気。ヒロシマものにありがちな「おどろおどろしさ」が薄く、北欧作曲家としてある程度離れた立ち位置からの原爆に対する思念を強く感じました。長調へ転調した時にはヒロシマの復興に対する願いが伝わってきて暖かな気持ちになりました。

 マイナー作曲家にありがちな、部分部分で光るものは感じるが全体を通してこそ見える美しさが弱い、といった点はあったもののHIROSHIMA作品として成り立っていて嬉しく思います。

團伊玖磨 交響曲第6番HIROSHIMA

 すごかった!昔に聴いた時、しょっぱなの笛(能管)を苦手に思ったことがあり、今回は予習らしい予習をしてこなかったのですが、やはりライブだと全然違う!…日本の楽器ってライブじゃないとダメなのかもしれない。楽章すべてで心震えるってのも中々ない…DNAの影響もあるやもしれぬ。

 邦楽器は西洋楽器と馴染まないが、それを逆手にとることで何らかの意義を付与できるんだと気付かされた。また、西洋楽器の緊張感と邦楽器の緊張感はまるで別物で、中々に気疲れしました。

 ソプラノ独唱による「広島の歌」は、2週間以上経った今でも思い出せます。清らかでありつつも、とても強い意志が込められた、その詩の内容の通りの独唱でした。

 やはり、團伊玖磨は日本人として聴くべき作曲家の一人ですね。

個人的に

 ヒロシマものには、絶望の描写が不可欠であり、復興の描写が不可欠であり、誰もが知る物語を紡ぐ難しさがあると思う。しかし、単純な標題音楽に成り下げず、音楽として語りかけることを選択した作曲家たちには本当にヒロシマのことを考えてくれたんだと嬉しく思う。

おまけ

 この演奏会はアステールプラザで演奏されたのですが、奇しくも隣のHBGホールでは我らが広島人の星”ポルノグラフティ”がコンサートを行っていた。終演後のファンの列を見て、彼女が「昔はファンクラブにも入っていたのに、今やポルノではなく團伊玖磨…私も遠い所に来たもんだ…(遠い目)」と言っていたのも一生忘れないだろう(笑)

 

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