160226 広響ディスカバリーIV
こんにちは。
先週の定期の記事…は置いておいて、シベリウスツィクルスのラストの感想を書こうと思います。
○シベリウス:交響曲第6番
…残念ながら、お仕事で間に合わずロビーでマイク伝いに聴いてました。
僕の好きな自然の警告音的なアレはどんな感じだったのかだけでも聴きたかったのですが、ドアマンスタッフの気持ちが知れたので良しとします。1番近くて1番遠いってこんな気持ちなのかもしれない。
シベリウスの後期作品ってのは、自然のイメージと離して考えるのは難しいですよね。日本の自然とも違うんですが、本当に「仙界」とでも言いますか、色味の少ない自然。…とか考えながら待ってました。
○シベリウス:「春の歌」
さて、「春の歌」…本当に初見だったんですが、広響の良さ(弦楽器の色彩感)が抜群に出ていたように思え、良い曲だなぁと思いました。”うねり”が会場を包み、音の奔流を感じて、シベリウスが若かりし時から形式に囚われていない(形式を疎かにしているわけではない)稀有な存在だったことを気付かされました。鐘自体もあったのですが、Obとたぶん弦楽器の絡みで鐘の音のような響きになった所に痺れましたね。広響の強みの1つに弦と木管の融和性の高さ…があると僕は思っています。
○シベリウス:交響曲第7番
そして、シベ7。やはり究極的にまで凝縮された精神性を感じますね。冒頭の上昇音型だけは、どうしても恥ずかしさを覚えてしまう(笑)のですが、すぐにそんな想いは霧散することに。音源で聴いていても、いわゆる交響曲的な”何かが連なっていく”という感覚を抱けずにいたこの曲ですが、やはりその印象は変わらず。何かを表しているようで、その”何か”に思い当たることは一生ないんだろうなという予感、これはもはやイデアなのではなかろうか。
弦の煌めくよう(決して輝かしいわけではなく)な澄み切った音色も良かったが、木管の硬さと柔らかさの使い分けの上手さも感じた。何より、シベリウスは金管のカッコいい部分を引き出しており、Tbのコラール調の響きには痺れました。
うん、シリーズの締めくくりとして素晴らしい演奏でした。